「瞳の動きで売れ筋探る」という記事が目に留まりました。切り抜き切り抜き。
来店客の瞳の動きや年齢・性別などの情報を品揃えや商品開発に生かす取組みが動き出すそう。
ネット通販と比べると店舗店頭では顧客データを得にくかったところ、顔認証技術の活用でマーケティングのあり方が変わる可能性がある、と。客の目の動きと視線の方向の分析で、多くの来店客の視線を集める商品のパッケージにある「集客のヒント」を把握するのに役立つと。商品開発の精度向上と、陳列精度向上のための使い方とのことです。
当然ながら、カメラで直接客の性別や年齢などを判定できる、といった使い方もできます。
これまで経験と勘に頼っていたものをAIと顔認証で定量的に捉えようということで、カメラによる視線分析の使い方としては解りやすいものです。
天井に設置したカメラで店頭の客の動きと買い方を捉えて分析し、売場の導線の取り方やゾーニングに活かしたり、ナンバーワン販売員の動きを分析して販売教育や人材育成に活かしたりする取り組みはこれまでもありますが、展開フェイスでの直接的な情報獲得が実装段階に入るという記事は案外目新しく、やっと出てきたか、という印象です。マネキンの顔にカメラを仕込むとかアイデアは昔からあったけど、棚に付けるというのはより広範囲なIPから情報が得られるから、客がカメラを意識することさえなければ有効だと思います。カメラとして見えないか、または防犯カメラと見間違えるくらいの存在感ならイケますね。
数年前に前職で、モニターさんの頭にカメラとセンサーを着けて店内を歩いてもらい、視線分析で何を見てどんな購買行動をとるのか分析する取組の話を頂いたことがあります。私としては、VMDと顧客購買の関連性を実証実験で獲得できるチャンス!と思いましたが、残念ながら諸々の事情で実施できませんでした。店内を歩くモニターさん又は客の目線で分析するアクティブな情報収集と、棚設置のようなパッシブな情報収集の併用でより広範囲で正確な分析・商品開発のみならず店頭展開までカバーする情報分析が可能になると思われます。IPだけでなく、店内全体での買い廻り行動やVP等への目のとめかたが定量的に分析できれば、まさに勘と経験と理論に頼っていたものが定量的に評価でにるものになりますよね。
アクティブな視線分析は、一人の客が店に入る前から、エスカレータを使っているときも、売場でも、回遊通路を歩いているときも、すべての視線の動きをシームレスにワンカットで捉えられるのが利点ですが、パッシブな視線分析でも、中国の防犯カメラ並みに店内のカメラの設置個所と数を増やせば同様のシームレスな視線分析が可能になるでしょうか。
VMDのような取組は構成学や心理学や人間工学等に基づく理論こそあれ、実行する段ではどうしても定性的な感じ、又は評価指標が売上だけになりがちなので、このような定量的な分析との融合が強く望まれるところです。お客様が店頭で買う、ということに変わりがないかぎり。
VMDの観点はリアルのみでなく2次元にもデジタルにも何にでも応用できますが、そうは言ってもリアル店舗あってこその我らVMD稼業ですから、リアル店舗のデジタル化と情報収集活動を推進することと合わせ、このような技術革新をVMDに連携させることを積極的に取り込んでいくことを考えなきゃいかんと思う今日この頃です。陳列も、自動陳列ロボや美陳列AIに負けないように研鑽せねばなりません!
それと合わせて、
自宅のネット購買環境をよりリアル店舗に(デジタルで)近づける試みもされていくのでは。今の、家庭でのちいさなPCの画面上、通販サイトの画面上の話ではありません。そんな可能性もあると思います。
この記事の話に戻って、
現時点ではまだ、カメラ設置による客の視線分析は店の都合による顧客分析・マーケティング。客を商品にひっかけるために商品開発につなげる話。いずれ顧客の都合に合う商品や売場の開発につながるとはいえ。
その時点では、客がワクワクする購買体験やカスタマージャーニーを知るためのツールとまでは言えませんから、店舗や顧客開発の目的上ここまで知りたい思うと、前述した「パッシブとアクティブ両面からの分析」が必要でしょう。VMD効果のデジタルを用いた実証研究についても同じことが言えそうです。
話が大いに飛びますが、両面からと言えば、これからの小売業は「店舗と家」という両面の分析も重要そうです。先日たまたま目にした雑誌の記事が頭に残っていて、この記事を読んだときにふと連想して思い出しました。
店舗と家?
家でのネット通販がリアル店舗をバンバン駆逐している時代なんだから、もう語り尽くされているでしょ。だからリアル店舗に革新と変化が必要なのでは??と思いますよね。
店舗と家の「家」は、前述した「自宅のネット購買環境をよりリアル店舗に(デジタルで)近づける試み」という話です。
今、実家の売却に向け家財の整理を行っていますが、実家にあった大昔のNewton誌を捨てるにあたり何冊か面白そうな特集のものを抜きました。そのうちの1冊1985年のニューテクノロジー特集。今から30年以上前に「未来をもたらす科学技術」の進化を予測した記事です。
ニューメディア・新素材・コンピュータ・ロボット・バイオテクノロジー・エネルギーの6分野に別けて、テクノロジーの未来予想をしています。今読むと古臭く感じるのはもちろんなのですが、それは30年後に当時の想像以上にテクノロジーの進化と革新が進んだということですね。この頃はインターネットもフツーの携帯電話もAIもなかったんですから。でも、ちゃんとロボットが人間に変わって作業をするんだとか、クリーンなエネルギー利用が広がるんだとかいうことも含め、的を得た予知をしていて驚きます。このうちの「ニューメディア」について、特集の冒頭にこんな記述があります。
「目の前に話し相手があらわれるテレビ電話、臨場感あふれる大画面の壁かけテレビ、いながらにして買い物ができるホームショッピング。SFの世界に登場していた夢のメディアや生活が、すぐ手の届くところまでやってきた。われわれの身近でおこりはじめたニューメディアの嵐。21世紀の社会はこのニューメディアを駆使した高度情報化社会となるのだろうか。その可能性を探ってみよう。」(Newton 1985.1月号より)
この記述がとても解りやすいのでとても感心。そして、現在の高度情報化社会の進み方が、この頃の予測をはるかに超えていることに今さらながら驚愕。スマホや、GAFAのような企業の台頭とか想像もできませんでしたよね。まさにSF映画で行われていたことです。でも・・・この記事でまだ一般的に隅々まで普及していないものがあります。
大画面の壁掛けテレビです(笑) 壁掛けの大画面テレビはありますけど、ここで言う大画面は「壁一面がテレビ」みたいなことでしょう。お金持ちの家にしかありませんよね。あ、誌中のイラストは確かに壁掛けテレビに見えます・・
80年代のSF映画では家の壁全体がテレビ画面になっていて、声を掛けるとただの壁から借景になったり、ニュース画面になったりする描写が多くありました。また、バーチャルリアリティの世界を実体験のように冒険したり、その冒険を販売する会社があったりもしました。SF小説でも、コンピュータの中の世界やバーチャルの世界に意識を転送して現実体験として過ごすことができる世界が未来像になっていたりしました。
このくらいの「実体験」を伴うこと、画面上またはバーチャルの空間に「没入」できること。これが「大画面の壁掛けテレビ」の未来像ではないかと思います。
でも、昔のSF映画や小説、漫画などで描かれた21世紀の世界と現在の世界は、テクノロジーの進化こそあれ、街並みとか暮らしとか住んでいる場所などは全体で見ればほとんど変化ないですよね。2001年を過ぎても旅客機は宇宙に飛び出していないし、絵に描いたような未来都市も実現されていません。たしかにメディアは大きく変わってきてますが、建築や住居や物理的なインフラはそこまで変わっていません。先達の想像以上に、これらは変わっていくのに時間がかかるのかも。大画面の壁掛けテレビも(笑)
「PC画面上のネット通販のサイトを見て買い物する」ではなく、「部屋のバーチャル空間のリアル店舗で買い物する」時代が来るのでは!?
これが、前述した「自宅のネット購買環境をよりリアル店舗に(デジタルで)近づける試み」につながる話です。バーチャルな時点でリアル店舗とは言えませんが(笑)まあ、そのくらい進化するのではないかと。
店頭の大画面の壁掛テレビ(=デジタルサイネージ)でバーチャルフィッティング・・という技術はもう実装段階に入ってますが、あれはリアル店頭のサービスの話でしかなく、あのスケールのバーチャルフィッティングが自宅の部屋でできるようになるし、そのままそこで買えるようになる・・と考えればイメージ湧きます。
加えて、AR(拡張現実)技術とツールの進化で、バーチャル空間での過ごし方がどんどん現実的で身近なものとなりつつあります。いずれ、ARバーチャル空間のリアル店舗もできるでしょう。バーチャル空間のリアル店舗といっても、一からデジタルデータで3D構築したものと、実際のリアル店舗や商品を撮影して3Dデータに変換したものの二通りがあるかもしれません。「リアル」の中に「商品陳列のリアル」も入れることができるなら、VMD理論も我らVMD稼業もまだまだ存在する価値があるかもしれません。いや、客一人一人の嗜好に合わせてAIが自動的にその人専用のお店を作るのかもしれませんね。そうなるとAIがVMD実務者ということになりますなあ・・・
「瞳の動きで売れ筋探る」
30年後、この新聞記事にある記述やマーケティング方法、ショッピング方法はどのような進化をとげているのでしょうか。私も80歳まで生きることができればこの目で確認、体験することができるのですが。